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皆さんこんにちは。
「和僑とは何か」のページへ、ようこそおいで下さいました。
このページでは、今まで論理的に体系化されていなかった「和僑」という言葉について
研究した定義を掲載しています。
はじめに
和僑とは何か。
私は、和僑とは「華僑をベースにした造語」というイメージや概念以外、この和僑という単語の持つ意味は
ただ漠然と、大きなイメージの雲のように明確な輪郭がないもののように感じていました。
皆さんも私と似た感想をお持ちではないでしょうか。
基本的に本稿は
「和僑の意味や概念を知りたい人々に対して、雑談形式で話をするのであれば、私はどんな話をするのだろうか?」
という視点に基づいて書き進めています。
しかし、ここに私の「価値観だけ」を書くことは何の根拠もないことですし、それなりに研究もせねばなりませんので、私心は外に置き、長期間に渡り様々な文献から紐解き、多方面の方々との議論を深く重ねた内容としています。
これから世界に目を向ける日本人が多くなる中で、私たち「和僑」が目指すべき方向性を模索し、世界に生きる日本人としての在り方を考える上で本稿が何かの参考となり、日本人のアイデンティティを、国境がボーダレスになりつつあるこの時代にどう考え、いかに行動していくのかを考える良い契機となれれば幸いです。
目次
「和僑」という言葉のルーツは何か
まず最初に、和僑という言葉がいかにして成り立っているのか、
和僑という単語の正確な意味を知らなければ、口に出すのも恥ずかしいものです。
そもそも和僑の「僑」の字は、日常生活ではほぼ使わないと思います。
確かに「木の橋」ではなく、「人の僑」というニュアンスとして考えられますが、それでは少し心許こころもとないような気がしていました。
まず、ここで前提を述べていきますが「和僑」とは造語で、中国人が世界に進出した歴史の経緯で誕生した「華僑」がその基礎となっているものです。
と、いうより「和僑」を説明する際に、必ず引き合いに出されるものが華僑ですので、和僑としての意味合いは、おおよそ華僑になぞらえたものであると思います。
「華僑」という二文字は「僑居華民(きょういかみん)」という四字熟語がその語源になっている言葉で、単語としての歴史はそこまで古い物ではなく、1880年代に初めて文献に登場しています。
清の時代の当時、海外へ出稼ぎしていた中国商人を「僑居者(きょういしゃ)」と呼び、日清戦争後には台湾に住む日清双方の「僑居臣民(きょういしんみん)=台湾に住む日清双方の国民という意味」への保護が掲げられました。
清国サイドでは当初その台湾に住む自国民を「僑居華民(きょういかみん)」と呼び、それを略して「僑民」と言いましたが「僑」を名詞として使った「華僑」の呼び方がこの時期に普及してきます。
「僑居」とは、分かりやすく言うと「出稼ぎ」というニュアンスで、「僑」の字は「放浪して異郷に住む事」という意味の形容詞として使用されておりまして、名詞で使用する事は中国でもありませんでした。
今でこそ華僑や和僑は名詞ですが、「僑」の文字単体では元々形容詞として使用されていたわけです。
ですので、和僑が華僑を基本にした造語であれば、「僑居華民(きょういかみん)」を「(僑居和民きょういわみん)」と置き換えることになります。
「僑居和民(きょういわみん)」という四字の言葉の意味は、直訳すると「出稼ぎで異国の地にいる日本人」という意味となり、それを名詞として縮めて「和僑」。 これが和僑の言葉の正式なルーツとなることを前提としておきます。
ここで大切なのは、当時の清国で「僑居臣民(きょういしんみん)」として認識していた台湾在住の現地日本人を「僑居和民(きょういわみん)」と呼ぶきっかけが仮にあったとすれば、「華僑」と「和僑」という単語は全く同じ時期に誕生していた、ということです。
華僑も和僑も、単語としては台湾をそのルーツとしており、そのどちらも造語ですので、和僑という単語が例え華僑がベースという認識であろうと、それが例え造語であってもあまり問題ではありません。
一番の問題は、この和僑と華僑には、単語の持つ大きなイメージの違いがあるように思われてならない事です。
和僑という単語が、言い方は悪いかも知れませんが、なぜ「軽く」感じられるのか。
その両者の大きな違いを知らなければ、和僑は大きく盤石ばんじゃくにはなり得ないと思いませんか。
単語の持つ重みの違いはどこにあるのか
現在、華僑でも和僑でも、その言葉の持つ概念がただ単に「海外の出稼ぎ人」というニュアンスで認識されている訳ではないことは皆さんご存じの通りです。
日本全国に点在する中華街。その一軒の中華料理店で皿洗いをする一中国人スタッフでさえも、自分は華僑だと言います。
そうです。
華僑とは、あくまでも総称。 金持ちで、政治的な影響力があるカリスマ中国人経営者のみを華僑と呼ぶわけではありません。
日本での和僑のポジションは、ほぼ確立されておらず、こうしてワードに単語を入力する事でさえ、最初から一発変換などあり得ません。(悲しい事ですが・・・。)
世界で活躍する日本人は、その日本人1人の活躍として国内で報道され、その海外の日本人が持つ日本への愛国心や頑張りに、国内組は熱くなる、といったところでしょうか。
この認識の大きな違いは、一体どこにあるのだろうかと、私はずっと考えていました。
華僑に対する私のイメージは、無知であった時代にはすごく大きなもののように感じていましたし、和僑とは地盤も何もないただの物まねのイメージのように感じていたのも事実です。
ですが、日本人が世界で活躍する機会が増え、世界中でその功績が認められている事を考えれば、現在の力量はさほど変わらないはずです。
そこに何故か互いの関係性が希薄であるように感じられているのは、ネットワーク云々以前に、互いの歴史の長さや成り立ちの経緯に関係があると考えています。
そもそも、「僑」の字は放浪して異郷に住む事の意味です。
それが「僑居」となって、海外に住んでいる労働者的なニュアンスを帯びます。
その意味が端的に表す事。 それは、単純に「移民」ということに他なりません。
そうやって、それぞれの「単語の歴史」ではなく「移民の歴史」を調べてみると、両者には違いが顕著に表れています。
日本、中国の移民の歴史
ここからは、少々難しくなりますが、出来るだけ分かりやすいように書いていきたいと思います。
中国人移民の歴史は宋(960年 – 1279年)の時代にまでさかのぼります。
中国では祖先崇拝を基軸とした儒教思想が根強く、本籍地に住む事を特別に重んじており、海外に永住している者は「私的に活動している人々」として、中国の政治や文化の建前からいえば「不完全な中華の民」であるという認識が長くありました。
この頃は、まだ「華僑」の概念は生まれていませんが、民族的なつながりの土台としては、非常に重要な時期と言えます。
それに比べ、日本の移民のルーツとしては、現在世界中に住む日系人に見る事が出来ます。
ジョン万次郎などごく少数の漂流民を除けば、明治元年(1868年)にいわゆる「元年者」と呼ばれるハワイの移民153名が、非合法ながら(江戸幕府とイギリス人ブローカーの契約だったため、明治新政府から認められず、パスポート不所持のまま移民)渡航したのが最初となりますが(※ウィキペディア参照)、私は最も古いとされている和僑のルーツは1860年にサンフランシスコ湾に入港した最初の日本船、勝海舟の「咸臨丸」をその歴史の出発点と考えています。
単語としての成り立ちとしては同時期であったとしても、移民の歴史にはおよそ900年の埋まらない「差」があるということです。
この時間の差は決定的で、通常、情報がほとんど遮断されている中で強固なネットワークを構築しようとすると、人的な裏付けと根拠が必要になってきます。
どこの、誰が、誰を、どんな目的で訪ねるのか、といういわゆる「ツテ」と「コネ」の歴史が、日本よりも900年前から積み重ねられてきた、と、いうことですから、日本人よりもその絆やネットワーク網が強固である事は至極当然とも言える事です。
そして、特に顕著なのは、双方の人的ネットワークについての「質」にあります。
何故「和僑」には「華僑ネットワーク」のようなものが出来ないのか
私たちが抱く一般的な「華僑に対するイメージ」は、アジア系労働移民の代表格、母国への政治的影響力もあり、柔軟で根強いネットワークを頼りに経済的に長けているというものではないでしょうか。
そのイメージを基本にもう少し詳しく見てみると、歴史の流れにより積み重ねられたネットワークの土台と国家への貢献を行う「愛国華僑」の存在や、居留地国家による排華運動に対抗するべく培われた民族間の固い絆がその土地それぞれで独自に進化し、決して一枚岩ではない組織ということも見えてきます。
そもそも歴史的な背景や国の政情・進出の土台が異なるので、日本人が海外に進出する手法も中国人とは全く違います。
例えば皆さんは、もし今のような情報化社会では無かった場合、どうやって海外へ移住するでしょうか。
少し考えてみれば、すぐに分かる事と思います。
中国では、昔から村人が増えすぎて貧困に陥る状況が度々あり、その度に農工商など各人の才能や資質に応じた外地への出稼ぎが村々で検討され、出稼ぎ人を送り出してきた経緯があります。
また、華僑史の特にこの100年に着目すると、西欧列強が推し進める世界資本主義や帝国主義が、インド・東南アジアの植民地を作り出し、そこに広い労働力市場が出来上がり、その引力が人口圧や貧困に悩む華南地域を中心とした村の労働移民を一挙に引き寄せたという構図も見えてきます。
先ほども書きましたが、貧困が原因で海外へ出稼ぎに行く中国人にとって、頼るべきはその血縁者や同郷者であることは必然とも言える事で、移民の歴史が古いほどそのネットワークは強くなります。
ですが、世界中の華僑の成り立ちを見ると、それらは決して一枚岩でも一本調子でもなく、移民受け入れ国の様々な状況に応じて多用且つ複雑であり、民族としてのアイデンティティも決して不変のものではありません。
また、華僑を支える団体においては17~19世紀において役割を果たした秘密結社の存在が挙げられます。
「移民の歴史の積み重ね」と「秘密結社」の両翼があって、この華僑の強力なネットワークが出来上がったわけです。
日本における中国人マフィアの存在はよく知られたものですが、華僑の定義から言うと彼らは真っ当な本流ではないようです。
そもそも秘密結社とは三合会(天地会)シンジケートに始まり、孫文の辛亥革命から興中会、華興会と合流し中国革命同盟会を結成、それに紅幇(ホンパン)・青幇(チンパンく)・哥老会(かろうかい)が加わります。(これを堂会と呼びます)
移民受け入れ国側の厳しい規制によりそのネットワークは、「総商会(現在の商工会議所のようなものです)」として表舞台へ移行していきますが、その内実は 祠堂 (しどう)(家廟)の組織、宗親会(同姓の会)、同郷会に立脚した存在です。
なので、非合法ながらも同族・同郷や同姓の会が中心の彼らと、ただの密入国の中国人マフィアとは全く質が違う、という風に私は解釈しています。
こういう堂会系非合法シンジケートが発展した背景には、受け入れ国サイドの体制で十分なフォローを受ける事が出来なかった事に加え、民族間の衝突による迫害の歴史によることが要因として挙げられます。
華僑に顕著なのは、祖先崇拝が非常に普遍的なものであり、時代・状況とともに再生・補強され、入植の前線地で増幅されてきたという経緯です。
その根底にあるのは社会の競合・競争であり、民族生存・出稼ぎの戦略として、弱い個人や世帯を越えるリンクが求められたことにより一族・同族の繋がりを基本とする傾向となりますが、このネットワークだけでは広がりが持てないため、補強するため郷党(同じ出身地の集まり)のコネクションを利用してきた背景を持ちます。
これを単純に日本に置き換えて言ってみると、親戚関係・婚姻関係を中心に日本で言うところの「在外県人会」のようなものが労働者の受け皿になり、その基礎となったのが暴力団組織であったが今では商工会議所として機能している、と言えば分かりやすいかも知れません。まぁ、悪い言い方ですが。
では、なぜ華僑ネットワークの基盤のようなものが、日系移民の歴史の中で生まれ無かったのでしょうか。
また、なぜ日系移民も海外における排日運動の受難の歴史を経験しているにも関わらず、 古くから連綿と受け継がれるような非合法シンジケートや同族・同郷を基本にした日系移民ネットワークの必要性が無かったのでしょうか。
次章では日本と中国双方の海外に送り出す背景の違いを、もう少し詳しく述べようと思います。
移民を送り出す背景の違い
封建制度色が根強かった日本の歴史においても、教育が進むにつれ日本国内の海外への移住に関しては国民感情として理解している傾向が多く見られたようです。
現在では海外移住について当たり前になっていますが、江戸時代でさえ藩や幕府の許可なく国外へ移住する事は認められていませんでしたし、戦国時代は応仁の乱以降1000年も続く戦乱の世であったわけですから、国民にそういう考えがあったのさえ分かりません。
日本の移民協会を調べてみますと、そういう時代を経てグローバルになるに連れ、現在では「帰国した日系人」と「日本国内に住む日本人」を同一化して見てしまう問題の方が、どちらかと言えば大きいようです。
日本人の血という血統主義の概念が深く根付き、単一民族とも言われる日本人独特の特徴とも言えるのかも知れませんが、見た目は日本人のようで名前も日本の名字ですので、育った国の違いによる微妙なズレには最初から気付かないのは、なんとなく想像出来そうなものです。
まず日本人は、単一民族であること。
そして、中国は多民族国家であること。 この違いはとても大きいと思います。
また、日本では他民族による政権というものの経験を経ていない事(戦後GHQの占領政策は別と考えます)や、歴史上海外からの文化を好意的に受け入れる歴史的土壌がある上に、石原慎太郎氏も言うように、好奇心を持って海外に目を向けながらも周囲が厳しい海に隔てられていた日本独特の地理条件もあり、元々国内に住みやすい、または住まざるを得ない国であったわけです。
「村が貧しいから海外へ出稼ぎという」基本的な発想そのものがあったのかどうかも疑問です。
元来、日本では国外に出なければならない理由が中国に比べて少なく、国内の政情や経済的条件が安定している事に加え、基本的な発想として一部を除いたほとんどの日本人が、国外で一生を終えるというイメージをしていないことにも証明されると思います。
それに比べ中国では漢民族やモンゴル民族などによる民族間による政権奪取・政権交代の歴史が長く、決して4000年の連続の歴史を持っているわけではありません。
中国人にとっては常に異化か同化か、という問題が付きまとっていた事が、逆に海外に移住することについても柔軟に対応出来たとも言えます。
そして、一番大きな事は、大陸の中で中国の国境が常に変化していたという歴史的背景も忘れてはなりません。
それは恐らくヨーロッパ諸国と似た価値観ではないでしょうか。 中国は、現政権が生まれてから、たかが80年程度の国なわけですから。
日本では歴史上国際的な帝国主義の時代、東南アジアを中心に植民地を得ましたが、敗戦によりその拠点を失い現在に至っています。
日本の国策として海外に進出したこの時代、様々な人的ネットワークは風化せずに残っているとはいえ時代と共に変化し、現在の「一般的な日本人」には活用する事は難しいと言わざるを得ません。
現時点の日本に於いては、民族生存の為の海外移住というニュアンスは考えにくく、もっぱら大手日本・日系企業、また日系金融コネクションによるビジネス上のネットワークに沿った進出が中心となると思われますが、先ほども述べたような「僑居」の感覚から抜けきれない出稼ぎの域を超えていないのが実情だと言えます。
では、私たちは、何を以て和僑という旗を掲げるのか
ここまで、和僑・華僑双方の歴史や背景の違いを比べて来ましたが、別に我々が華僑の真似をしなければならない云われはありません。
過去の歴史は歴史として、双方のネットワークには大きな違いがあるにせよ、和僑は和僑として、これから地盤を作り上げれば良いだけの事です。
ただし、過去の和僑の歴史を考えてみると、何か大きな軸のような概念がなければ、結局私たちはバラバラなだけです。
社会的孤立度が先進各国の中でもダントツに高い我が国ですから、海外に進出する日本人もバラバラなのは、それはそれで結構ですが、それならこの和僑という言葉も皆様には検索する事でさえ必要なかったはずです。
大和民族である私たち日本人の強みは、「和」という概念です。
和を以て尊しとするのは、何も聖徳太子だけの専売特許ではありません。
「和」という単語は、大和民族である日本人が、人の和を以て「僑居」していく事で「和僑」となり得る事を象徴しているように思えてなりません。
我々日本人がこれから先、国外へ進出する際に何を以て和僑となるのか。
それは、今、ここから先を見据えた方向性を探る事で、1つの答えが見えてくると考えています。
和僑発展の為の4つのキーワード
さて、迷った時には遠くを見よ、という言葉がありますが、遠くを見るためには過去にさかのぼることから和僑という概念を見て来ました。
ですが、和僑・日系移民の歴史としてはまだ150年程度の歴史しかなく、和僑という言葉に魂を込める事は、これからの私たちの使命のようなものではないかと思っています。
今立っている場所から過去を振り返り、そして先を見る。
その為には、和僑史100年~現在までもう少し詳しく見る必要があります。
その為に世界華僑華人研究の第一人者である 王コウ武(おうこうぶ)氏の言葉を借りて、その和僑の成長段階を4つに分類しようと思います。
私は、現在考えられる和僑の歴史の流れとして発生順に「和商型」「和工型」「和僑型」の3つがあると定義しました。(※4つ目の分類については後述します。)
「和商型」は来歴の最も古い主流で、日系一世の成功者同士がやがてその仲間に入り込むことでネットワークが出来上がっていきます。
今でも横浜の中華街では「華商」という看板を見かけますが、それと似た概念です。
「和工型」は18~19世紀の労働移民であり、今世界規模で広がっている和僑分布の主なルーツ。
第一次移民政策以降、日本から世界を見据えた日本人がようやく増え始めた時代の日系移民の人々をそう定義しています。
この時代は、まだ「和僑」というより日系移民と定義した方が良いかも知れません。
そして忘れてはならないのは、先の大東亜戦争で獲得した大東亜共栄圏の国々に分布した日本人もここに入ります。
「和僑型」は20世紀バブルの成長期に圧倒的な経済力を背景に進出した日本人ネットワークにその基礎を置いているとも言えます。
ここで着目したいのは、バブル崩壊期に世界中の日本企業・日本人が撤退を余儀なくされましたが、21世紀の現在において中国バブルを背景に再び日本人の海外進出が目立つことです。
前者の場合、日本国内の経済的発展に伴う進出としては強引且つ自然なものでしたが、現在のそれにおいては少し変質しているものと考えています。
全てが画一的に同じ理念で進出しているとは言いませんが、現在の我々に見られる傾向として国内経済の飽和状態及び不況に伴い、海外で経済的発展を目指す日本人が増加している一方で、典型的な華僑イメージのように国外から日本国内へのフィードバックを目的としている「愛国和僑」も少なくありません。
進出した海外のそれぞれの国の事情に左右されるとはいえ、現在の日本人にとってその居住地を海外に持つ事は、現在はそこまで難しい事ではありません。
ですが、交通網の発達、インターネットの世界的発展に伴い、国境や他国との距離を意識することが少なくなったとはいえ、現在日本国内から進出している和僑の多くは、「僑居」の範疇から抜け切れておらず、出稼ぎの類から単独で永住するスタイルが主流です。
そして海外で寄り添う彼らが作る団体といえば日系企業経営者達が組織する異業種交流会の域を抜けていません。
問題は、海外に永住している、若しくはそれぞれの国に帰化・同化した日本人・日系人の時間的・歴史的背景で出来上がったネットワークと、現在進出している日系企業の海外進出に於ける金融・ビジネス系ネットワークが二分化されていることにあります。
和商→和工→和僑それぞれの歴史が、華商→華工→華僑のように進化していったのではなく、それぞれの時代背景や事情の中で分断されています。
もちろん互いに何かしらの接点はあるでしょうが、これから世界を目指す日本人にとっては、その進出の手助けになるべき日本国内外におけるパイプ役の新たな組織が必要になるのに加え、単なる出稼ぎ的要素だけではなく、先々は海外で日系人として生きていく為の形を模索するという可能性も視野に入れなければならない時代も、やがて到来することと思います。
どのラインに沿って、世界へ出るか
我々が考える今からの和僑の道は、主に2つあります。
現在世界へ進出している大手日系企業との協調体制を取りながらも、個人企業としての力量を上げる事、いわゆる共存共栄の姿勢と、日系金融ネットワークのラインを徹底的に活用する事、並びに、各和僑が海外における地盤を確固たるものにし、自ら金融支援・現地での政治的ネットワークを後続の日本人に繋げる事。
ですが、結局海外に進出すれば、現地の国民を相手にビジネスを展開していくわけですから、現地日系異業種交流会から生まれるビジネスのパイなどほとんどアテにはなりません。
(だからと言って、現在の在外異業種交流会の存在意義を否定しているわけではありませんが。)
あくまでも異業種ではなく、同業種共闘体制を組む、日本国内の事業から派生した関連産業同士のコングロマリットとして攻める事で、現地日本大使館の活用方法も生まれてくるというものです。
同業種で攻める事の最大のメリットは、互いの組織力のスケールメリットを最大限に活用できるという点と、日本型ビジネスの基盤がぜい弱な発展途上国においては、その仕組みを作りやすい事にあります。
これからの時代は自社単独技術に固執することなく、柔軟にジョイントベンチャー方式で互いのメリットを最大限に活かし合う事が求められることに加え、同業種であるからこそ情報共有による戦略の打ち出し方に多角的な視点が与えられることも魅力となります。
要はネットワークよりも、アライアンス(有志連合)にニュアンスは近い。
和僑としてのネットワークが脆弱な地盤の上に成り立っている以上、歴史の縦軸の上に成り立つコネクションはほぼ存在しないのが現実です。
和僑としての進出の手段の1つ目は、あくまでも「アライアンス」。
同志的な結合と資本的結合を持った有志連合スタイルが一番適しています。
ですが、それでもこれはあくまでもビジネスの上での話に過ぎません。
大和民族の遺伝子と愛国和僑
海外でビジネスを基本に和僑の展開を図る事は、もちろん当然な事ですが、ただ単に金儲けの為に海外に出稼ぎをするなら、和僑という概念や組織は、その金儲けの為の手段の一つにしか過ぎず、一過性のものとして形骸化されてしまう事は目に見えています。
そういう進出は、私たちはバブル時代にすでに学びました。
競争の上に成り立つビジネスよりも、和を以て進出した先に、その国々の風土や文化との共生を図ること。
今、この瞬間を基準に、先のビジョンもなくただ金儲けだけをする為の一時的な組織として形骸化させないためには、海外で戦う和僑が、一体何のために和僑の旗を掲げて戦うのか、という根源的な目標を見失わない事が、一番大切になってくると思います。
アメーバや細胞分裂、菌の増殖のように国境を越え、アジアを中心に広がりつつある日本人。
国家へ錦の御旗を飾る為に『戦果を自国へ持ち帰る』のではなく、例えるなら『大股でアジアと日本国内に片方ずつの足を置き、重心を掛けたい方の足を軸にして動く』、という考え方で、国境をまたぐ事への抵抗が無くなれば、そこに残るものは「自分は日本人である」という民族意識や遺伝子しかありません。
それは「和裔(わえい)」という考え方へ
ここで、先ほどの4つの分類の最後である「和裔(わえい)」という考え方が出てきます。
和僑の「和」に、末裔(まつえい)の「裔(えい)」。
読んで字のごとく、海外の日系移民の子孫という事です。
私は、このビジョンこそが今後の和僑の方向性を大きく決めると言っても過言ではないと考えています。
ここで言う「和裔(わえい)」の概念とは、主に外国で生まれ、外国市民権を持つ日系人の子孫という事になります。
我々の世代まででは過去の日系移民の歴史と20世紀バブル時代の世界進出を踏まえ、これからの子供達が世界に出て行ける為の地盤整備を「国内外」で行い、本人達が気軽に利用しやすいネットワークの基盤を作り上げ、既存の在外日本人組織との関係構築を組み直す事に重きを置き、各々が資本力を持ち、次世代の受け皿になることが当座の目標であります。
そこに「和裔」を考えるとなると、非常に複雑かつおよそ100年以上の時間が掛かります。
和裔として行き着く目標はどこにあるのか、と熟考すると、導き出されるスタイルはいつも1つしか浮かんで来ません。
それは、何か。
誤解を恐れず言いますが、それはその現地国において日系人政治家を生み出すという事です。
別に、海外にいる和僑・和裔が、その現地国を売るような売国的行為を促すものではなく、親日国家を出来るだけ増やす、というもので十分だと思います。
自分が生まれ育った国を愛する在外日系人としての生き方と、自分が日本人としての血を受け継いでいるというジャパニーズネス(日本人性)のバランスを取ってくれるだけで良い。
和僑、特に「愛国和僑」とは、受け入れ国サイドの体制により現地への同化を行う選択肢を深く考え、自分のアイデンティティと生きていく上での様々な事情が常に付きまとい、日本国内で生きるよりも強い愛国と郷愁の念を抱く存在であります。
それはリアルに、現在の華僑を見ても容易に想像できます。
日本人が和僑、すなわち海外への進出を考えるときに一番重要なのは、自分と国家との繋がりであり、「日本人とは何か」という根源的な課題です。
国家と自分との繋がり、民族意識を異国の地で常に意識する存在。
そんな和僑による教育で育った子供たちが、大人になって受け入れ国サイドの政治家として活躍してくれること。
和僑に経済的アライアンスと政治的意思が両立した時、初めて親睦を深め合う国家同士の姿が目に浮かびませんか。
日本人としての誇りと共に、居住する場所・仕事をする舞台に国境はもはや左右されることはありません。
そういう生き方を選択する大きな志を持ち、「日本から世界へ貢献する」時代を経て、これからは「世界から日本を支える」存在となる事が出来るか。
日本国内の枠を越え、世界へ羽ばたきたい若者は、私の周囲にも数多く存在します。
我々和僑が掲げるキーワードはただ一つ。
「日本国内・国外を問わず、日本人の誰一人として、我々はひとりぼっちにしない」 日本国内だけに留まらず、自分の可能性を信じ、皆さんが活躍なさって下さる事を、心から願っています。
最後までお付き合い頂きましてありがとうございました。
感謝。
株式会社和僑ホールディングス
会長 / Founder 髙取宗茂
最後に
本稿については出来るだけ正確に書いたつもりですが、万が一間違いがあれば訂正・研究の継続を諸兄に託したいと思います。
本稿の編纂に当たって歴史学者で現財団法人東洋文庫特別顧問でいらっしゃる斯波義信先生の華僑についての研究を参考にさせて頂きました。
ありがとうございました。
また、本稿についてのご意見・ご感想などが御座いましたら、下記フォームよりお送りください。